自分の考えは間違っているかもしれない?

正しい情報を選ぶのは難しいです。
本を読んでいても真逆のことが書いてあることもありますね。
ここで大切なのは「どちらが正しいかを証明すること」ではなくて、「どちらの考え方も理解したうえで(受け入れたうえで)自分がどちらを信じるかということ」だと思います。
- どちらを信じたほうが自分が幸せになるのか?
- どちらを信じたほうが生きやすくなるのか?
そう考えることが大切だと思います。
自分の考えが正しいことを証明するために、相手の考えを否定する人もいますよね。
でも、それだと自分の考えに固執してしまいます。
たとえ相手が間違っていたとしても、そこから学べることはあります。
新しい考え方に気づくことができるし、「なぜ間違えてしまうのか」がわかれば間違えてしまう人の気持ちを理解できます。
「間違えてしまう人の気持ちを理解できる」というのは、教える立場の人にとっては非常に重要なスキルとなりますよね。
さらに、自分が正しいことを証明するよりも、自分が間違っている可能性を探したほうが役に立ちます。
「今持っている情報がすべて正しい」からと言って、「あなたが間違っていない」とは限りません。
「今持っている情報がすべて正しいこと」と「間違っていることを証明する情報が見つかっていないこと」は同じではないんですよね。
新しい情報が入ってきたとき、その情報が「間違っていること」を証明してくれるかもしれません。
たとえば、昭は「白鳥(スワン)はすべて白い鳥である」と信じられていました。
ヨーロッパやアジア圈に生息する白鳥しか知らなかったからです。
しかし、オーストラリアで「黒い白鳥(ブラックスワン)」が見つかった瞬間に、「白鳥はすべて白い」という考え方はあっさり覚ってしまいました。
これは「自分が見てきた(持っている)情報には黒い白鳥が存在しなかった」という事実が、「黒い白鳥が存在しないという証明」にはならなかったという良い例です。
私たちはつい、「今のところ間違いを見つけられていない」ことを「完全に正しい証拠」と混同してしまいがちです。
しかし、新しい情報が入ってきたときに、それまでの考えが間違っていたとわかる可能性は十分にあります。
だからこそ、「自分の考えが正しいかどうか」を証明することよりも、常に「間違っているかもしれない」と余白を残しておくことが大切なんですよね。
金融の世界では、「ブラックスワン」は「大規模な予想外の出来事」といった意味で使われますよね。
リーマンショックやコロナショックが良い例です。
これらは誰も予想してなかった(できなかった)株価の大暴落です。
結果として、多くの人々がパニックになり、大幅に資産を減らすことになりました。
しかし、余白を残していた人はどうでしょうか?
この場合の「余白を残していた人」とは、株式よりも現金や債券を多く持っていた人のことです。
そのような人は、暴落で株価が割安となったときに、より多くの株式を買うことができ、結果として大幅に資産を増やすことができました。
あまり注目されることはないですが、余白は物事を冷静に対処するうえでに非常に重要です。
「間違っているかもしれない」と常に考え、間違っていたとしても問題がないように、誤りの余地を残しておきたいですね。