何事も楽しんだもん勝ち

「ゲームに対してイライラすることが多い」という人は、意外と多いのではないでしょうか。
普段からゲームをやっている人ほど、そうなってしまう傾向があると思います。

実際、私も過去にゲームでイライラすることはありました。

思うように進まなかったり、何度も同じところで失敗したり——
そして、他の人がもっとうまくやっているのを見ると、自分が劣っているかのように感じてしまいます。

でも、そんなときに、ふと思ったんですよね。

「何のためにゲームやってるんだっけ」

楽しむためにゲームをしていたはずなのに、自分を苦しめていたことに気づきました。
いつの間にか結果や効率を求め始めていて、本来の目的である「楽しい時間を過ごす」ということを完全に見失っていました。
それだと本末転倒ですよね。

一方で、私はゲームをするのも好きですが、ゲーム実況を見るのも好きです。

ゲーム実況の魅力は、プレイのうまさではないんですよね。
「彼らがどれだけ楽しんでいるか」です。

人によっては、「下手すぎてイライラするから見てられない」みたいなこともあるみたいですが、私はそんなことはなかったです。
ゲーム実況は純粋な気持ちで楽しむことができました。

ゲーム実況は、友達と一緒にゲームをやっているような気持ちにさせてくれます。
そして、「このゲーム、自分でもやってみたいな」と思わせてくれます。

クリアできなくても、プレイそのものを楽しむこと。
勝ち負けより、仲間と過ごす時間を大切にすること。

何事も楽しんだもん勝ちなのではないでしょうか。
好きなことを心の底から楽しんでいる人を見ると、何だか心が温かくなりますよね。

これはゲームに限らないですよね。
絵を描くのが好きな人の絵をみたり、歌うことが好きな人の歌を聴いたりすると、自然と心が動かされます。

技術の高さや洗練された表現も確かに素晴らしいです。
でも、「好き」という気持ちが溢れ出てくる作品には、それとはまた違う魅力があるように思います。

絵を描くのがうまい人が描いた絵よりも、絵を描くのが好きな人が描いた絵のほうが好きです。
歌がうまい人の歌よりも、歌うことが好きな人の歌のほうが好きです。

子どもたちの作品に魅力を感じるのも、この影響が大きいのではないでしょうか。

「好き」という気持ちは、技術や才能を凌駕するほどの力を持っているように思います。
その気持ちがあれば、たとえ不器用でも、拙くても、その人らしさが滲み出てくるんですよね。
ただ、「楽しんでいる」という気持ちが伝わってくることが、何よりも大切なのかもしれません。

私たちは、どうしても他人と比べてしまいがちです。

「あの人のほうがうまいから」「自分には才能がないから」——そう思って、好きなことから遠ざかってしまうこともあるかもしれません。
でも、好きという気持ちに、上手い下手は関係ないんですよね。

絵を描くのが好きなら絵を描けばいいし、歌うのが好きなら歌えばいいと思います。
誰かと比べる必要はないし、評価を気にする必要もないです。

ただ、自分が「好き」という気持ちを大切にして、楽しむこと。
それだけで、人生はより豊かになるように思います。

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  1. 世界を変えるより視点を変える

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    それならば、雨を楽しむほうがよっぽど簡単だと思いませんか?

    お気に入りの傘を用意しておいたり、予定を変更して家でゆっくり読書をしたり——
    視点を変えるだけで、嫌だった雨の日が少し特別な日に変わるんですよね。

  2. 「理解できないこと」を理解する

    あなたは、パートナーや異性の友人と話していて、「なぜ伝わらないのだろう?」と感じたことはありませんか?

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    このような場合、なぜ、うまく伝わらないのでしょうか。
    それは、男性と女性では、コミュニケーションの仕方が違うからかもしれません。

  3. 本当に緊急?

    「緊急」や「至急」という言葉をよく使う人っていますよね。
    メールの件名に【緊急】と書かれていたり、チャットで「至急お願いします」と送られてきたり——。

    そんなメッセージを受け取ると、なんだか落ち着かず、急いで対応しなければいけないような気持ちになりますよね。
    でも、あとから振り返ってみると、そのうちのどれくらいが本当に「緊急」だったのでしょうか。

    私の経験では、特に急ぐ必要のないものだったり、翌日までに対応すれば間に合うものだったりすることが多かったんですね。
    そのため、私の中では「緊急」や「至急」をよく使う人は、信頼を失ってしまうようになりました。