完璧でなくていい
『悪魔城ドラキュラ』をご存知ですか?
KONAMIの人気シリーズで、未だに根強い人気があるシリーズですね。
そんな『悪魔城ドラキュラ』の過去作品を詰め込んだコレクション『Castlevania Dominus Collection』が2024年8月28日に発売されました。
そして、発売から2ヶ月ほど経った頃、アップデートがあったんですよね。
そのアップデート内容が非常に印象的なものでした。
「一部のバグ技が正しく再現するように修正」——
つまり、「不具合を発生させるための修正」だったんですよね。
バグを修正するのではなく、バグが起こるように修正する——
なんだか、とても温かいなと思いました。
昔のゲームには、多くのバグがありました。
タマムシデパートでミュウを釣ったり、バニシュデスで無双したり——。
当時、多くの人が"それ自体"をゲームの楽しみ方のひとつとして受け入れていました。
バグは「欠陥」ではなく、「ゲームの一部」だったんですよね。
でも今は、少しのミスも許されないような空気を感じることがあります。
いつから、完璧が当たり前になったんでしょうか?
仕事でも人間関係でも、完璧を求める声が大きくなりました。
友人や恋人、ビジネスパートナーに対しても、完璧であることを期待してしまう。
そして、周りに完璧に見える人がいれば、その仲間である自分も完璧だと思い込んでしまいます。
エンジニアをやっていると「バグはないですか?」なんて聞かれることもありますが、その質問自体、少し無理があると私は思います。
もし、「はい、ないです」と答えるエンジニアがいたら、それはもっと無理があるかもしれません。
人間が完璧でないのだから、完璧なものが作れるわけがないですよね。
それなのに、私たちはどこかで完璧を求めすぎてしまっているのかもしれません。
特に日本は「失敗は悪」という風潮が強いように感じます。
完璧を求めることは、悪いことではありません。
向上心があるからこそ、より良いものを目指せます。
でも、完璧でなければならないと思い込んでしまうと、少しのミスも許せなくなってしまいます。
自分に対しても、他人に対しても——。
それが当たり前になってくると、息苦しくなってしまいますよね。
もし自分がゲームの開発者の立場だったら、私はバグ技の再現アップデートを喜んでくれるような人に使ってもらいたいです。
不完全さを理解して、それ自体を楽しんでくれる人。
完璧じゃなくても、価値があると認めてくれる人。
私たちは、もう少しだけ不完全さを許容してもいいのかもしれません。
自分にも、他人にも。
完璧でなくていい。
そう思えたとき、少しだけ心が軽くなる気がします。
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