同じ「赤」を見ているとは限らない

信号の「青」って、どう見ても緑ですよね。
でも、みんな当たり前のように「青」と呼びます。
そんなとき「他の人の青は自分が見ている青と同じ色なのかな」と思うことがあります。

猫は世界が白黒に見えていると言われます。
その話を聞くと「同じ人間同士でも本当に同じように見えているのかな」とまで思えてきます。

私たちは「赤」と言われればリンゴの色だとわかるし、「黄色」と言われればバナナの色だとわかります。
でも、あなたの見ている「赤」と私の見ている「赤」が本当に同じ色なのかはわかりません。

あなたの見ている「赤」は私にとっての「バナナの色」ということだってあり得るのに、お互い「赤」という同じ言葉を使っているだけかもしれません。

でも、この話は誰にも証明できないですよね。
自分の見ている世界が誰かと同じかどうか、確かめる方法はどこにもないからです。

こんな話をすると「変なやつだ」と思われることは間違いないので、あまり口に出すことはありませんでした。
でも、思い切って話してみると、意外とわかってくれる人がいるんですよね。

哲学というのはこういうところから始まるのかもしれません。

この話を投稿するにあたって、改めて「同じようなこと考えている人いないかな」と思って調べてみたら、
同じことを考えていた人がいて、その考えに名前までついていました。

これは「逆転クオリア」というそうです。

300年以上前、ジョン・ロックという哲学者がこの問いを書き残していました。
しかも、いまだに答えは出ていないらしいです。

変なやつだと思われそうで言えなかったことを何百年も前の偉大な人が真剣に考えていた。

それを知れただけで、文章にした甲斐がありました。

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  1. 知識ではなく、時間と経験を借りている

    医師や弁護士、税理士といった専門家が持つ資格は、どれも片手間で取れるようなものではありません。
    資格を取るまでにかけた時間も、積み重ねてきた経験も私とはまるで違います。

    だからこそ、そういう分野の答えについては自分の考えを持たないほうがいいと思っています。
    考えている量が違いすぎて、私にはそれ以上の判断はできないからです。

    そもそも、自分の考えが正しいかどうかを判断する材料を十分には持っていないことのほうが多いと思います。

  2. 待っていてくれた友人たち

    大学に入って最初の健康診断で、レントゲンを撮ったことがあります。
    入学して数週間しか経っていない頃で、知り合ったばかりの友人たちと並んで順番を待っていました。

    撮影のときは身につけているものを外しますよね。
    私も腕時計を外しました。

    そして次の検査に向かおうとしたところで、腕時計がないことに気づきました。
    レントゲン車に置いてきたのだろうと思い、友人たちには「先に行ってて」と伝えて、私だけ取りに戻りました。

  3. コーラで乾杯

    私はコーラが好きです。

    中でも最高なのがシャワーを浴びた後、「これから夕食だ」ってときに飲むコーラです。

    シャワーを浴びて、冷蔵庫からコーラを出して飲む。
    ただそれだけのことですが、これがなかなか良いんですよね。