「自分の嫌い」は「誰かの好き」?

営業の仕事、細かい事務作業、人前で話すこと、複雑な計算、早起き——
自分にとっては苦手なことを、楽しそうにイキイキとやっている人がいる。

そんな光景を目にすると、心から尊敬する気持ちになると同時に、「自分はこのままで良いのかな?」と考えてしまうこともありますよね。
でも、実はこれって当たり前のことなんですよね。

私たちは一人ひとり違う人間で、好きなことも嫌いなことも違います。
だからこそ、自分が苦手なことを得意とする人がいて、自分が得意なことを苦手とする人もいます。

それなのに、心のどこかで「みんな同じはず」と思い込んでしまっていることがあります。

「こんなことも我慢できない自分はダメだ」
「こんなことも楽しめない自分はおかしい」

そんなふうに、自分を責めてしまうこともあると思います。
でも、考えてみれば、あなたが楽しんでやっていることを「私には苦痛でできない」と思っている人もいるかもしれないですよね。

たとえば、私はひとりでいる時間が好きです。
静かに本を読んだり、考え事をしたり、そんな時間が心地良いです。
「予定がない」というのは最高の幸せです。

一方で、そんな過ごし方を「寂しくないの?」と不思議がる人もいます。
その人にとっては、ひとりでいることが耐えがたいことなんですよね。
むしろ、私にとっては大勢で過ごすことが苦手です。

どちらが正しいとか、優れているとか、そういうことではないんですよね。
ただ、性格や考え方が違うだけです。

無理に他人と合わせて楽しもうとする必要はないし、他人と同じように頑張れない自分を責める必要もありません。

もし、周りの人が楽しんでいることを自分が楽しめないとしても、それはあなたが劣っているわけではないです。
ただ、あなたには別の楽しみがあるというだけのことです。

そして、あなたが苦手なことを楽しんでやってくれる人がいるからこそ、社会は回っているとも言えます。

私が苦手な営業を得意とする人がいて、その人が苦手な文章を書くことが私は得意だったりします。
そうやって、お互いに補い合って、助け合っているんですよね。

「自分にはできない」と落ち込むのではなく、「この人にはこれができるんだな」と認めること。
そして、「自分には自分のできることがある」と信じること。

違いを受け入れるだけで、少しだけ心が軽くなります。

あなたが嫌いなことを楽しんでいる人がいます。
それと同じように、あなたが楽しんでいることを嫌いな人もいます。

そう考えると、「好きなことだけをやる」というのも悪くない気がしてきますよね。

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  1. 痛みの先にあるもの

    「今の自分を変えたい」

    誰もが一度はそんなふうに考えたことがあると思います。

    でも、本当に自分を変えるためには、私は「死」が必要なのだと思います。
    もちろん、肉体的ではなく、精神的にですね。

  2. 「会いたいから会う」を取り戻す

    子どもの頃はよく「今日、公園で遊ぼう!」と友人に連絡したものです。
    放課後になれば、理由なんてなくても、ただ「会いたいから」集まっていました。

    でも、大人になると何か理由がないと誰かに会えなくなってしまっています。

    多くの場合、それは食事だったりお茶だったり——。
    「久しぶりだからご飯でも」「ちょっとお茶しない?」という具合に、必ず何かしらの"名目"が必要になってきます。

  3. 余裕のなさが他者の自由を奪う

    仕事が忙しくて、家のことが何もできない。
    そんなとき、つい「これやっておいて」と、家族に頼んでしまうことはないでしょうか。

    「自分が忙しいんだから仕方ない」
    そう考えてしまうことは、誰にでもあると思います。

    余裕がないとき、私たちは無意識のうちに、他者をコントロールしようとしてしまいます。
    相手の時間を奪い、相手の予定を変えさせ、相手に自分の都合を押し付けてしまいがちです。