テクニックではなく心で話そう

前回の記事で「使い捨てになってしまう知識や技術を身につけようとしていませんか?」という話をしました。
たとえば、その場しのぎのコミュニケーション術や、興味のない資格などですね。
今回は、その“コミュニケーション術”についてもう少し深堀りしてみようと思います。
たとえば「まずはお礼を言う」ということを、“コミュニケーション術”として身につけているだけだと、あまり意味がないんですよね。
もちろん、“コミュニケーション術”としてマニュアル化されたものを覚えるほうが楽なのはわかります。
意識していれば、ある程度は誰でも使えますからね。
実際、スキルとして紹介されているケースも多いですよね。
でも、「まずはお礼を言う」というのは、本来「人間として当たり前のこと」であって、「円滑なやりとりをするためのテクニック」ではありません。
人間として自然に“正しい”ことをやっていれば、結果としてコミュニケーションもうまくいくものだと思います。
つまり、「小手先のコミュニケーション術ではなく、根本的・普遍的な価値を重視したほうが良いのではないか」ということですね。
たとえば、聖書にある「己を愛するごとく、汝の隣人を愛せよ」という一節は有名ですよね。
私はキリスト教徒ではないのですが、これは大切にすべき普遍的な教えだと思います。
最近話題になっているテクニックよりも、はるか昔から伝わってきているこのような教えに従ったほうが、本質的ではないでしょうか。
聖書は何千年も前に生まれたものなのに、今も世界中で読まれ続けていますし、おそらくこの先もずっと読みつがれていくはずです。
こうした「長い歴史をもってしてもなお読まれ続けるものは、これからも生き残る可能性が高い」という考え方を「リンディ効果」といいます。
聖書はその典型例で、時代を越えて多くの人に価値あるものとして認められているわけですね。
ところで、いわゆる「コミュニケーション術」をわざわざ意識して使っている人というのは、何となくわかるものです。
とくにチャットだと顕著で、毎回同じような返しだったり、相手の気分を良くするための表面的な言葉が並んでいるのが伝わってきます。
会話のように“感情”が大きく絡むものを、マニュアル通りにパターン化しようとしているわけですから、どうしても不自然になるんですよね。
機械に返事をされているような、型にはまった話し方だな、という印象を受けてしまいます。
個人的には、コミュニケーション術を学ぶために、本を読んだりセミナーに参加したりするよりは、自分の好きな漫画を読んだりゲームをしたりしているほうが良い気がします。
意識していれば、楽しみながら人の心について学べるし、話のネタも増えますからね。
意外と実用的だと思いますよ。
実際、「テクニックを駆使して話している人」と「好きな漫画やゲームのことを自分の言葉で楽しそうに話している人」なら、後者のほうがずっと魅力的に感じませんか?
その代表例ともいえるのが、今人気のゲーム実況者たちです。
彼らはきっと「コミュニケーション術」なんて意識的に学んでいないと思います。
ただ「ゲームが好き」という気持ちをそのまま声や表情で表しているだけでしょう。
やっぱり、いろんな娯楽コンテンツに触れている人の話はおもしろいものです。
本と比べて漫画やゲームは“悪”のように扱われがちですが、実際は同じくらい価値があると思います。
そうやって得た知識や経験は、必ずどこかで人間関係のきっかけになるんですよね。
堆苦しい勉強や仕事の話より、漫画やゲームの話のほうが盛り上がりやすいし、仲良くなりやすいのは誰もが直感的に理解できるはずです。
そんなやりとりから人間関係が広がっていくのは、当たり前のことなんですよね。
表面的なことではなく、本質的なことに意識を向けたいですね。
やっぱり原理原則が大事ですね。