「自分の嫌い」は「誰かの好き」?
Shunsuke
心の落書き帳
昔のゲームって難しかったですよね。
ヒントは少ないし、セーブポイントは遠いし、ボスは理不尽に強い。
当時の自分の力だけではどうにもならない場面がいくつもありました。
それに加えて、今と違って攻略情報がほとんどありませんでした。
インターネットがまだ一般的ではなかったので、「調べたらすぐに答えが出てくる」ということもありませんでした。
それでも、ゲームはずっと好きでした。
好きなのに、どうしても先へ進めない。
そんなとき、母は私に攻略本を買ってくれたんですよね。
母はゲームにまったく興味のない人でした。
だから、代わりにクリアしてくれるわけでも、解き方を教えてくれるわけでもありません。
それでも、攻略本を買って、一緒に答えを探してくれました。
当時の私にとって、攻略本は唯一といっていい情報源でした。
やり込んだゲームのものは、何冊も持っていました。
書くことも読むことも嫌いだったのに、攻略本のページだけはめくっていました。
自分が興味のないものに、お金を出して付き合う。
それがどれくらい面倒なことか、大人になった今ならわかります。
母にとって、ゲームの中身はどうでもよかったはずです。
でも、私が困っている、私が答えを探している、その事実だけは見ていてくれたのだと思います。
好きなものの中身を理解してもらう必要はなかったんですよね。
ただ、そこに向き合っている姿を、一緒に見ていてもらえればよかった。
今では、本を読むことに抵抗はありません。
それどころか、読書は趣味のひとつになっています。
この経験があったからこそだと思います。
わからないことがあれば、調べればいい。
自分の力だけで解けなくても、それは恥ずかしいことではない。
そう思えるようになったのは、あのとき一緒に攻略本のページをめくってくれた人がいたからかもしれません。