ふたつのレース

「がむしゃらに働き続ける人はラットレースをしている」
「投資でリスクをとりすぎる人はチキンレースをしている」

なんて言われることがあります。

小さな体でちょこまかと走り回るネズミと、首を前後にせかせか動かしながら地面をつつくニワトリ。
どちらも忙しない動物の名前です。

こうやって2つを並べてみると、なんだかおもしろいですよね。
そして、「人生の競争」を語るときに使われる言葉が、よりによってこのふたつなのが、少し不憫でもあります。

ひとつは、繰り返される環境のなかでどれだけ走り回っても、どこにも辿り着けないというあの空回り。
もうひとつは、ブレーキを踏まずに走り続け、最後までびびらなかったほうが勝ち、というあの度胸試し。

ラットレースという言葉は、たぶん「終わりのない競争」を表したかったときに、誰かがネズミの回し車を思い浮かべたのでしょうね。
チキンレースという言葉も、「引き返せない緊張」を表したかったときに、ニワトリのびくびくと走る姿が浮かんだのかもしれません。

人間の生き方を語ろうとしたときに、ライオンでも馬でもなく、ネズミとニワトリが選ばれてしまう。
そこに、なんとも言えない可笑しさがあります。

どちらも威厳のある動物ではないんですよね。
むしろ、走り続けることが当たり前すぎて、自分が走っていることすら気づかなさそうな動物たち。

人間も、目の前のことしか考えられなくなると、”どちらか”になってしまうのだと思います。
ただただ働き続けてラットになるか、勇ましくリスクをとってチキンになるか。

しかし、どちらを選んでも、忙しない動物の名前が待っている。

ナシーム・タレブ氏の言葉が、ある本のなかで紹介されていました。

「真の成功とは、ラットレースから抜け出して、心の平穏のために生きることである」
——モーガン・ハウセル『サイコロジー・オブ・マネー 一生お金に困らない「富」のマインドセット』

ラットレースから抜け出す。
ただ、抜け出した先がチキンレースだと、結局のところ、動物の種類が変わっただけになってしまいます。

本当は、ネズミでもニワトリでもない、もう少しのんびりした動物を、自分の生き方の名前として選び直してもいい。

ナマケモノでも、カピバラでも、お風呂に浸かっている猿でもいいような気がします。

「ナマケモノレース」とは、誰も言わないですよね。
そもそも、レースという言葉が成り立ちません。

そういう動物の名前で語られるような時間が、一日のどこかに少しでもあると、それだけでだいぶ救われる気がします。

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