いつでもどこでも休んでいい

スマートフォンを開けば、すぐにメールを確認できる。
カフェに座れば、すぐに資料を作れる。
ベッドの中ですら、誰かに連絡できる。

便利な時代になったなと、ふと思います。

いつでも、どこでも、働けてしまう。
それは多くの人にとって、当たり前の前提になっているような気がします。

でも、ここでひとつ、立ち止まって考えてみたいことがあります。

いつでもどこでも働けてしまうのなら、いつでもどこでも休んでもいいのではないでしょうか。

そう問いかけると、少しだけ違和感を覚える人も多いと思います。
「働ける」のほうは自然に受け入れられるのに、「休める」のほうには、なぜか後ろめたさが生まれる。

不思議ですよね。
言っていることは、ほとんど同じはずです。

「どこでも働ける」という自由は、いつのまにか「どこでも働いていなければならない」という空気に変わっていきます。
平日の夜も、土曜日の午前も、移動中の電車の中も、頭のどこかで仕事のことを気にかけている。

それは便利さの代償というよりも、私たちが「便利さの使い方」を半分しか身につけていない、ということかもしれません。

「働く」を持ち歩く方法は覚えたけれど、「休む」を持ち歩く方法は、まだあまり知らない。

そう考えてみると、少し見え方が変わってきます。

たとえば、平日の昼に少しだけぼうっとする時間を、自分に許してみる。
そんなのサボりだ、と感じるかもしれません。

でも、夜にベッドの中で仕事のチャットを開いてしまうことには、サボりだという感覚はあまりないですよね。
むしろ、「ちゃんとしている」と感じる人すらいるかもしれません。

おかしな話だなと思います。
時間と場所を超えて働くことは「責任感」と呼ばれて、時間と場所を超えて休むことは「だらしなさ」と呼ばれてしまう。

でも、本当はどちらも同じだけ自由のはず。

いつでもどこでも働ける環境というのは、いつでもどこでも休める環境でもある。

ただそれだけのことだと思います。

だから、ほんの数分、何もしない時間を作ってみてもいい。
昼休みに少しだけ目を閉じてみてもいい。
週末の朝、誰にも会わずに、自分のためだけにコーヒーを淹れてみてもいい。

それは怠けでも、逃げでもなく、ただ「便利さのもう半分の使い方」を、自分に教えてあげているだけだと思います。

働く道具と、休む道具は、本当はおなじものだったりします。
スマホひとつで仕事もできるし、スマホひとつで音楽も聴ける。
パソコンひとつで会議もできるし、パソコンひとつで好きな映画も観られる。

道具に罪はなくて、ただ私たちが、どちら向きに使うかを選んでいるだけです。

それなら、もう少しだけ「休む向き」に使ってみてもいいのかもしれません。
少なくとも、働く向きに使うのと同じくらいの感覚で使いたいですよね。

もし今夜、布団の中でメールを開いてしまいそうになったら、ためしに一度だけ、スマホを置いてみてください。

「いつでもどこでも働ける」と言ったあなたは、たぶん、そう言ったぶんだけ、休む権利も持っているはずです。

働くことに許可がいらないのと同じように、休むことにも、誰かの許可はいらないと思います。

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