「働きたくない」の正体
最近では、FIREという言葉が注目されていますよね。
早期にリタイアして、働かなくてもいい暮らしを手に入れる、という考え方です。
私も、その中のひとりでした。
仕事を辞められたら、どんなに楽だろう。働かなくていい人生に、強く憧れていた時期があります。
でも、よくよく考えてみると、私は働きたくないわけではなかったんですよね。
少しだけ、言葉を分けてみます。
- 働きたくないのではなく、嫌な仕事をしたくない
- 出社したくないのではなく、満員電車に乗りたくない
- 人と関わりたくないのではなく、合わない人と関わりたくない
こうして並べてみると、自分が本当に避けたかったものが、ほんの少しだけ見えてくる気がします。
「働きたくない」という言葉は、とても大きな主語です。
その大きさに引きずられていると、本当はもっと小さな何かが嫌だっただけなのに、人生まるごと拒絶しているような気持ちになってしまうことがあります。
たとえば、気の合う友人と一緒に働けたら、どうでしょうか?
好きな場所で、好きな時間に、自分の好きなことを仕事にできたら、どうでしょうか?
「まだまだ働いても良いかも」と思いませんか?
そう考えてみると、私たちが嫌だったのは「働くこと」そのものではなく、その周りにあった「合わない何か」だったのかもしれません。
働き方を変えることは、簡単ではありません。
転職も、独立も、ライフスタイルの見直しも、思い立ってすぐに動けるものではないと思います。
でも、「働きたくない」という言葉の中身を少しだけ細かく見てみるだけなら、今からでもできます。
何が嫌で、何ならまだ大丈夫なのか。
そこを丁寧に分けていくことは、自分を守るための小さな作業のような気がします。
FIREに憧れる気持ちの奥には、「ここではないどこか」を求める切実さがあると思います。
その気持ちを否定しなくていい。
でも、その「ここ」が本当はどこなのかを、もう少しだけ見つめてみてもいいのかもしれません。
「働きたくない」の正体は、もしかしたら「嫌な仕事をしたくない」だけかもしれません。
その小さな違いに気づけたとき、選び直せるものが少しだけ増えるような気がします。
仕事を全部投げ出さなくてもいい。
人生を大きく変えなくてもいい。
ただ、「嫌だったもの」と「本当は嫌じゃなかったもの」を、ゆっくり分けてみる。
そんなささやかな作業から、少しずつ始めてみませんか。
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