趣味を犠牲にしてしまう週末
趣味を楽しみたい。
そう思っているはずなのに、週末になると身体も気持ちも重くて、結局なにもできずに終わってしまう。
そんな日、ありませんか?
金曜の夜には「明日こそ」と思っていたはずの予定が、土曜の昼にはもう薄れていて、気がついたら日曜の夕方に「もったいなかったな」とため息をついている。
そういう週末を、いくつ見送ってきただろうと思うことがあります。
私たちはどうして、当たり前のように趣味を犠牲にして、仕事を優先してしまうのでしょうか。
でも、よく考えてみると、これは少し不思議な話です。
私たちは、何のために働いているのでしょうか。
お金のため、生活のため。
きっと多くの人が、そう答えると思います。
でも、そのお金や生活は、何のためにあるのでしょうか。
たぶん、自分の人生を楽しむためだったはずです。
好きなことをしたり、大切な人と過ごしたり、のんびり出かけたりする。
そういう時間のために、私たちは働いているはずだったと思います。
仕事は、本来、手段でした。
趣味や、好きなことや、のんびりする時間こそが、目的だったはずです。
でも、気がつくと、手段と目的が静かに入れ替わっています。
「仕事が落ち着いたら、趣味の時間にしよう」
「余裕ができたら、ゆっくり休もう」
そう考えているうちに、仕事はいつまでも落ち着かず、余裕はいつまでも生まれない。
気がつけば、仕事が人生の中心になっていて、趣味のほうが「余力があればやるもの」に格下げされています。
そして、もう一つ、少し悲しい変化があります。
いつの間にか、趣味そのものまで、「ちゃんとやらなきゃいけないもの」になっていることです。
「せっかくの週末だから、有意義に過ごさなきゃ」
「この趣味、ちゃんと上達しなきゃ」
「SNSに載せられるような何かを、残さなきゃ」
楽しむためのものだったはずの趣味が、いつの間にか「やらなきゃいけないことリスト」に紛れ込んでいる気がします。
そうなると、趣味はもう、心を休める場所ではありません。
それは、仕事とは別の、もう一つの評価される舞台になってしまいます。
週末に身体が重くなるのは、もしかしたら、その二重の重さのせいなのかもしれません。
平日は仕事で評価され、週末は趣味で評価される。
そんな毎日を、心は拒んでいるのかもしれません。
「趣味の時間が取れない」と感じたとき、本当に必要なのは、時間の作り方ではないような気がします。
必要なのは、「何のために働いているんだっけ」と、一度立ち止まってみることだと思います。
仕事は、あなたの人生を支えるためのものであって、人生そのものではない。
趣味は、上手にやるためのものではなくて、ただ楽しむためのものだったはず。
そんな当たり前のことを、忙しさの中で、私たちはつい忘れてしまいます。
週末、何もできなかったとしても、自分を責める必要はないと思います。
ただ、ひとつだけ、思い出してみてほしいことがあります。
「私は、何のために働いているんだろう」
その問いの先に、あなたが本当に守りたかった時間があると思います。
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価値のあることだけやればいい
何もしていないと、落ち着かなくなることはありませんか?
そういう感覚の奥には、「何もしていない自分には価値がない」という思い込みがあるような気がします。
でも、よく考えてみると、それは少しだけおかしな話だと思います。
減点方式の働き方に疲れたら
日本人の働き方は、減点方式だとよく言われますよね。
もちろんすべての職場がそうではないと思いますが、どこかで心当たりがある人は多いのではないでしょうか。出来上がってくるものが100点である前提で、そこからどれだけミスがあるかを探していく。
そんな見られ方をしている気がします。一方で、欧米は加点方式だと言われます。
「どんな工夫をしたか」「どんな成果があったか」を積み上げて評価する傾向があり、多少のミスは「チャレンジした証」として許容されるのだそうです。「考えなくていい」という豊かさ
実家を離れて一人暮らしを始めたとき、多くの人が親のありがたさに気づくと思います。
実際に手を動かしている時間よりも、「あれをしなきゃ」「これも忘れずに」と頭の中で段取りしている時間のほうが、ずっと長かったりしますよね。
実家にいた頃は、そんなことを考える必要がありませんでした。
よくよく考えると、ありがたかったのは「時間があったこと」ではなく、「考えなくてよかったこと」だったのだと思います。





