思考

お金で買えない価値——市場規範と社会規範の境界を考える

お金で買えない価値——市場規範と社会規範の境界を考える
Shunsuke

私たちは、無意識のうちに「お金で買えるもの」と「お金では買えないもの」を区別しています。

普通であれば、友人や恋人をお金で買おうとはしないですよね。
仮にお金で関係を築けたとしても、真の友情や愛情は感じられないと思います。

お金で何でも手に入る世界…なんて、ほんとうに幸せ?

もし、「友情」や「愛情」をお金で買えたらどうなるでしょうか?
ちょっと想像してみてください。

ある日突然、あなたのところへ営業マンがやって来て、「これ、最高品質の親友パッケージですよ!お値段は特別価格で100万円!」なんて売り込みをしてきたら、どう感じますか?

「それちょっと面白いかも」と思う人もいるかもしれませんが、多くの人は「いやいや、友達はお金で買うものじゃないでしょ!」と思いますよね。

私たちって、実は無意識のうちに「お金で買えるもの」と「お金で買えないもの」をちゃんと区別しているんですよね。

そこには、見えないラインが引かれているんですね。

市場規範と社会規範…境界線はどこにある?

ここで登場するのが、「市場規範」と「社会規範」という考え方です。

  • 市場規範:お金で価値を測ろうとする基準。モノを買ったり、サービスを受けたりする感覚がここに当てはまります。
  • 社会規範:愛情や友情、信頼といったお金で測れない価値観。人間関係のなかで「大事にしたい」と思う、その“気持ち”が該当します。

たとえば、恋人や友人をお金で買おうなんてふつう考えません。
なぜなら、それは愛情や友情という「社会規範」の領域だからです。

一方で、スーパーで野菜を買うとき、「お金を払って好きな野菜を持ち帰る」のは当たり前のことです。
これは「市場規範」ですね。

仕事に社会規範ばかり持ち込むと同僚の不満は増えていくだろうし、逆に友人との関係に市場規範を持ち込んで「じゃあ君の優しさ、1時間あたりいくらかな?」なんて言えば、確実にドン引きされるでしょう。

この境界線を踏み越えると、人間関係がギクシャクしてしまいます。

お金が生み出す便利さ、そして心に宿る小さな違和感

お金は本来、物々交換をスムーズにする潤滑油として生まれたものです。

昔の人々は、物やサービスを直接交換していましたが、その都度「私の麦10束とあなたの魚3匹を交換して!」みたいな交渉が必要でした。

そこで、「それなら統一基準としてお金を使おう」となり、やがて世界中に市場が広がっていったわけです。
お金のおかげで、私たちは好きなものを簡単に手に入れられるし、経済も発展してきました。

しかし、現代は物質的なモノだけでなく、あらゆるものが売買の対象になりつつあります。

  • 席代を支払うことで快適に移動できる指定席やグリーン車
  • 高い料金を支払えば速く移動できる高速道路や新幹線
  • 多めに払えば早く配達されるAmazonのお急ぎ便
  • 心の問題にまで踏み込む風俗産業や援助交際
  • 時には臓器や子どもを売買しようとする、犯罪的行為

どれが「あり」で、どれが「なし」でしょうか?

例えば、ちょっと贅沢な指定席は「まぁ、あり」で済むけど、さらに上位クラスのグリーン車になると「いや、そこまでお金で快適さを買うのはどうなんだ?」と首をかしげる人もいるかもしれません。

その基準は人それぞれ違い、私たちの心の中にある“境界線”は明確には引けません。

極端な例として、「子どもを売る」ことは絶対的なタブーです。
それはどんな状況でも許されません。

一方、「会社を売る」ことは成功例とされる場合もあります。
そう聞くと「会社は自分の分身のようなもの」と考える経営者にとっては、「それって心の領域への侵入ではないか?」という葛藤が生まれそうですね。

また、倫理的に問題とされる行為があっても、それが社会全体でタブーとされない場合もあります。
人々の感覚は多種多様で、ある人にとっての“聖域”がお金で侵されているように感じても、別の人は「それもひとつの選択肢じゃない?」と何事もなく受け止めることもあります。

こうした混乱の中で、「時間」について考えてみるとどうでしょう。

時間は有限で、お金で延ばせるような代物ではありません。
でも、お金で人の時間を買うことは可能です。

家事代行やタクシー、エステや習い事だって、広い意味で「時間を買っている」と言えます。

そう考えると、時間は市場規範に属するのでしょうか?
それとも、その中に社会規範が微妙に混ざっているのでしょうか?

これを考え出すと、なんだか哲学的な話になっていきそうですね。

あなたの“聖域”はどこ?

ここまで読んでみて、あなたはどう感じましたか?

もしかしたら「やっぱり愛情や友情はお金で測れないよな」と改めて思ったかもしれません。
あるいは、「意外と私って市場規範に寛容なのかも?」と気づいたかもしれません。

大切なのは、自分の中にある「お金で測れる領域」と「お金で測れない聖域」の境界線を知ることです。

そこで、あなたの中で「これは絶対お金では取引できない」と思うものを、紙に書き出してみてください。

それが愛情なのか、信頼なのか、時間なのか、はたまた名誉なのか、何でも構いません。
書き出していくうちに、自分がどんな価値観で生きているのか、少しずつ見えてくるはずです。

そして、自分なりに線を引いてみることで、世の中で起きている摩擦や議論、さらにはちょっとしたニュースの見方まで変わるかもしれません。
あなたの中の「聖域」を知ることは、より豊かで納得感のある人生への一歩かもしれません。

あなたは、「何を」取引しているのでしょうか?
その答えは、あなた自身が心の中で握っています。

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参考文献

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Shunsuke
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起業家、エンジニア、心理カウンセラー
ひとりの未熟な人間の現時点での思考メモ。
書かれている内容がすべて正しいとは限らない。
少しでも誰かを勇気づけられる言葉を残したい。
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