指摘するより自分でやるほうがうまくいく
「そんな細かいことまでうるさいな」
誰かに対して、そう感じた経験はありませんか?
職場で、家庭で、ちょっとしたことを指摘されるたびに、なんだかモヤッとする。
言っていることは正しいのかもしれない。でも、素直に受け取れない。
一方で、自分も同じように誰かに指摘してしまっていることがあるかもしれません。
作ってもらった資料のフォントサイズを変えてもらいたい。
作ってもらった料理の味付けを変えてもらいたい。
指摘されて「めんどくさいな」と感じるのは、「その人のこだわり」が反映されやすいからだと思います。
自分にとっては気にならないことを指摘されると、正しさよりも先に「押し付け」に感じてしまうんですよね。
おもしろいことに、同じ「気づき」でも、それを「指摘」として伝えるか、「自分でやる」かで、相手の反応はまったく違ってきます。
指摘すると、「細かいことまでうるさいな」になる。
自分でやると、「調整ありがとうございます」になる。
同じことに気づいているのに、アウトプットの仕方ひとつで、評価が真逆になるんですよね。
これは、心理学でいう「心理的リアクタンス」に近い現象だと思います。
人は、自分の行動や選択を他者にコントロールされていると感じると、無意識に反発したくなります。
たとえそれが正しい指摘であっても、「言われた」という事実そのものが、小さなストレスになりやすいのかもしれません。
一方で、誰かが黙ってやってくれた場合はどうでしょうか。
「指摘された」という感覚がないので、防御的にならずに済みます。
むしろ、「自分が手を回せていなかったところをカバーしてもらえた」という感謝が生まれやすくなります。
これは、フレーミング(物事の伝え方)の違いとも言えるかもしれません。
同じ事実でも、「あなたができていませんよ」という枠組みで伝えるのか、「私がやっておきました」という枠組みで伝えるのか。
前者は相手の不足を指し示す行為になりますが、後者は相手を助ける行為になります。
もちろん、すべてを自分でやる必要はないし、きちんと伝えなければいけない場面もあります。
大きなミスや、本人が知らないと困ることは、伝えることが大切です。
でも、「細かいこと」に限って言えば、指摘するよりも自分でやったほうが、結果的にうまくいくことが多い気がします。
もし今度、何か細かいことが気になったとき。
指摘する前に、「これは自分でできることかな?」と一瞬だけ考えてみるのもいいかもしれません。
その小さな判断の積み重ねが、思っている以上に大きな違いを生んでくれるはずです。
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