マリオになりたかった友人

あなたは子どもの頃、将来何になりたかったですか?

  • 野球選手
  • サッカー選手
  • ケーキ屋さん
  • お花屋さん

私が子どもの頃はこのあたりは定番でした。
今だとYouTuberやインフルエンサーなのでしょうか?

そんなありふれた回答が並ぶ中、「将来、マリオになりたい」と言っていた友人がいました。
その理由は「死なないから」。

いかにも子どもらしい発想ですよね。
バカげた話にも聞こえます。

でも、今になって考えてみると、その理由はあながち間違っていない気がします。

そもそもマリオは死なないわけではないですよね。
残機が減ることを「死ぬ」と表現するのであれば、ゲームのなかでいちばん多く死んでいるのはマリオなのかもしれません。
穴に落ちても、敵にやられても、残機は減ります。

それでも私たちはコントローラを置きません。
何度でも同じステージの最初に戻って、またマリオを操作します。

つまり、彼が憧れていたのは「死なない体」ではなく、
「失敗しても何度でもやり直せる」という前提そのものだったのかなと思います。

「死なない」より「やり直せる」。
言葉にすると地味ですが、こちらのほうがずっと欲しいものだと思います。

大人になるほど、この前提が抜け落ちていく気がします。

転職に失敗したら終わり。
一度こじれた関係はもう戻らない。
この歳から始めても遅い。

そんなふうに、一回きりの勝負だと思い込んでしまう場面が増えていきます。

たしかに人生にリセットボタンはありません。
起きたことをなかったことにはできないですよね。

でも、リセットとやり直しは別のものだと思います。

マリオも記憶を消してやり直しているわけではなく、
さっき落ちた穴の位置を覚えたまま、もう一度スタート地点に立っています。

失敗は消えないけれど、そのぶん次は少し上手に動ける。
「やり直す」というのはそういうことなんじゃないでしょうか。

『サイコロジー・オブ・マネー』のなかに、こんな一文があります。

不確かなものに対処する唯一の方法は、「こうなるだろう」と考えた出来事の範囲と、実際に起こり得る出来事の範囲のあいだに余地を設けて、失敗してもまた挑戦できる余力を残しておくことなのである。
——モーガン・ハウセル『サイコロジー・オブ・マネー 一生お金に困らない「富」のマインドセット』

お金について書かれた言葉ですが、これが残機の話にも通じる気がします。

残り1機しかない状態で、無茶なジャンプできないですよね。
まだ何回か失敗できると思えるからこそ、思い切って踏み切れる。

私たちにとっての残機は貯金だったり、予定の入っていない時間だったり、うまくいかなくても変わらずそばにいてくれる人だったりするのかなと思います。
それがいくつあるかで、踏み出せる一歩の大きさは変わってくる気がします。

だから、うまくいかなかったときに考えたいのは「もう終わりだ」ということではなく、
「今、自分に残機はいくつあるだろう」
「今の残機で、どれだけのことができるだろう」
ということなのかもしれません。

そして、もし心もとないと感じたなら、挑戦の前にまず残機を増やしておく。
それも立派な一手だと思います。

死なない強さではなく、何度でもやり直せる世界。

幼いながらに友人が言いたかったのは、そちらのほうだったのかなと思います。
そして、その世界はマリオの世界だけでなく、案外こちら側にもあるのかもしれません。

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