取扱説明書はもう書いていた
「自分の取扱説明書を書いてみませんか」
そう言われたら、あなたは何を書きますか?
- 調子が出るとき、出ないとき
- こう頼まれると動きやすい、という伝え方
- 苦手なこと、できれば避けたいこと
「朝はエンジンがかかるまで時間がかかる」
「まとめて言われるより、ひとつずつ言われたほうが動ける」
こういうことは本人にとっては当たり前すぎて、わざわざ言う機会がないまま過ぎていきますよね。
だから一度書いておけば、あとは渡すだけで済む。
それはそうだと思って、私も自分の取扱説明書に何を書くかを考えてみました。
すると、意外とnoteに書いていたんですよね。
取扱説明書のつもりで書いたわけではないのですが、困ったことや引っかかったことをその都度書き残していたようです。
せっかくなので、それっぽい部分をまとめてみます。
頼みごとは一度にひとつずつ
「ランチしながら打ち合わせしましょう」と言われると、少し困ってしまいます。
外食が得意ではなくて、話に集中できなくなってしまうんですよね。
一度にひとつのことにしか集中できないので、頼みごともまとめてではなく、ひとつずつのほうがありがたいです。
「至急」と言われると信用できなくなる
「至急」や「緊急」という言葉を多用されると、逆に信用できなくなってしまいます。
本当に急いでいる人ほど「〇時までにご確認いただけますか」と具体的に伝えてくれるんですよね。
急ぎのときは、いつまでに何をしてほしいかを教えてもらえると助かります。
早起きは無理にしない
翌日に楽しみがあれば自然と早く起きられるし、嫌なことがあると起きるのがつらくなりますよね。
無理に早く起きようとするより、眠れないなら眠れないでいいと思っています。
肩書きで見ないでほしい
仕事の肩書きが大きくなるほど、それが自分そのものになってしまいがちですよね。
でも家に帰れば肩書きは何の意味も持ちません。
肩書きの外にいる自分こそが、本当の自分なのかもしれないと思っています。
相談されたら余計なことを言わない
誰かに相談されると、何か言わなければという気持ちになりますよね。
でも本当はただ聞いてほしいだけということも多いと思うので、私は余計なことを言わないように心がけています。
気になったところは指摘せず自分で直す
資料のフォントや料理の味付けのような細かいことは指摘するより自分でやってしまいます。
指摘すると「うるさいな」になって、自分でやると「ありがとう」になるんですよね。
だから気づいたことがあっても、指摘ではなく自分で直す側でいたいと思っています。
ひとりの時間が最高
誰にも気を遣わず、自分のペースで過ごせる時間があると心が整う気がします。
何をするでも、何もしないでもいい時間です。
まとめてみて思ったことがあります。
取扱説明書のつもりで書いた文章はひとつもなかったということです。
そのときに困ったことをその都度書いていただけです。
取扱説明書というと、項目を埋めて体裁を整えた1冊を想像していました。
でも実際には、書き続けた文章の索引のようなものなのかもしれません。
もし今、取扱説明書を書こうとして手が止まっている人がいたら、「今日、少し困ったこと」をひとつ書いてみるのがいいのかもしれません。
それを何度か繰り返していると、いつの間にか取扱説明書になっています。
あなたの取扱説明書も、意外ともうどこかに書いてあるのではないでしょうか。
この投稿は、「第3回 Rondのよりみち|わたしの取扱説明書」への参加記事です。
「Rondのよりみち」は、Rondが毎月ひとつのテーマを置き、参加者のみなさんと一緒に考えたり、書いたり、話したりする企画です。
Rondでは、一人ひとりが持つ経験や価値観、感性を大切にし、その人らしさや魅力を言葉にしていく取り組みを行っています。
今回は、「わたしの取扱説明書」をテーマに、自分がどう関わってもらえると力を出せるのかを考えています。
HP: https://rond.co.jp
#Rondのよりみち
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「怒り」を手放す
「なぜわかってくれないのか」
以前の私は、そんな怒りを感じることがありました。
怒りを向けていたのは、常に頑張りすぎてしまって自分のことを顧みない人でした。
願い事をしない神社通い
「神様を信じますか?」
そう聞かれたら、あなたはどう答えますか?
いきなり聞かれると、少し身構えてしまいますよね。
「いると思う」と答えるのも「いないと思う」と答えるのも、なんだか落ち着かない気がします。「都合の良いこと」より「本当のこと」を言ってくれる人
誰かに相談をすると、思っていた以上に優しい言葉が返ってくることがあります。
「大丈夫だよ」
「あなたは間違ってないよ」
「そのままでいいと思う」聞いた瞬間はほっとしますよね。
でも少し時間が経ってから、「あの言葉は本当に正しいものだったのだろうか」と感じることがあります。
