「好かれたい」が招く自己喪失——本当に伝えるべき言葉とは?
「相手が返してほしいだろう言葉を返しています」
献身的な人がこのような発言をするのをよく耳にします。
もっともらしい言葉に聞こえますが、これは本当に相手のためになっているのでしょうか?
当たり前のことですが、他人の思考を完全に理解することは不可能ですよね。
そのうえで、自分の考えを手放し、誰のものでもない言葉を返すことには、果たしてどれほどの価値があるのでしょうか?
それだと、自分の言動が「他人の機嫌を取るためだけのもの」に変わっている気がします。
そのような行動を続けていると、いつの間にか「自分自身」が「自分以外の何者か」になってしまいます。
そして、気づかないうちにそれが「自分自身」だと信じ込んでしまいます。
- 好かれたい
- 認められたい
- 褒められたい
そんなことばかり考えていると、いつの間にか自分を見失ってしまうんですよね。
心理学者の河合隼雄氏は次のように述べています。
一般の人は心がすぐわかると思っておられるが、人の心がいかにわからないかということを、確信をもって知っているところが専門家の特徴である
心の処方箋 —— 河合隼雄
人の心について、深く考えている人ほど「相手のことはわからない」ということを受け入れているんですよね。
相手が望んでいる言葉を推測して、それに合わせて自分の感情を偽る必要はないです。
コントロールできない他者の感情よりも自分自身の感情に目を向けることのほうが、健全な選択ですよね。
周りの望むことを上手にこなす人生を生きてきたなら、自分が何者かわからなくなるのも当然だ。
ユダヤ人大富豪の教え —— 本田健
これは、本田健氏の代表作『ユダヤ人大富豪の教え』に登場する老富豪の言葉です。
言いたいことは言えばいいと思うし、言いたくないことは言わなくていいと思います。
相手としては、あなたが言いたくないこと、言いにくいことを察するのはなかなか難しいですからね。
良くも悪くも言葉にしなければ伝わらないです。
相手の心を読もうとすることよりも、どんなことでも伝えられる関係を築こうとすることのほうが重要だと思います。
ただ、感情が不安定なときは、発言を控えることが望ましいです。
そのような状態では、誰かを傷つけてしまう可能性が高いです。
自分は何を言いたいのか。何をやりたいのか。
自分の気持ちに正直になりましょう。
自分が何を言うべきかも、誰かに聞き始める前に——。